ねこだま
自分でつくった肩書「ねこだま研究家」
「ねこだま」とは「ねこ」+「たましい」です。
私は、生まれた時から家には猫がいて、人生の大半を猫と共に生きています。生まれた時、家にいたとはチコという三毛猫。それから、何匹の猫を飼ったかは記憶が定かではありませんが、もらって来たり、拾って来たり、いつでもニャンコが近くにいました。猫たちは、私にとっては、まさにニャンコ先生。猫によって、出会いと別れ、生きるとは?死ぬとは何ぞやということを学ばされてきました。
ある日、マンションまでついてきて飼うことになったニャンコがいます。彼女は今までの猫飼い人生の中で、もっとも賢く、さらに美猫でした。彼女が天に召されたあとには、もう、猫は飼うまいと思ったのですが、避けられない運命により、2匹のニャンコ姉妹を飼うこととなりました。それが、今、一緒に住んでいる、わさびとくるみです。猫は人間の近くで過ごすことにより、魂が進化し、人間界への転生をめざしていると聞きます。僭越ながら、猫王国の教育係としての任務を与えられていると観念し、猫さま達と、自然界や人間界を研究する日々です。
「たましい」という言葉は、多くの人はどんな印象を持つのでしょうか?
アヤシイという印象を持つ人も多いのかもしれませんが、生死の場面に接した時や、生き物の不思議に接した時に、私たちは生きている実感や、死の先を考えたりと、神聖な気持ちになることが多いのではないでしょうか。動物を飼っていたりすると、人間より寿命が短いので、その死に直面せざるを得ないことがあります。私は、そうして、スピリチュアリティやスピリチュアルなことを考えるようになったと言っても良いでしょう。
私が幼稚園に行くよりもっと前に、誰かが拾ってきたのかもらってきたのかはわからないですが、生後数か月の猫が家にいました。その猫さんが、突然具合が悪くなって死んでしまった時には、「この猫さんは幸せだったのだろうか?」と考えました。数か月しか生きられず、どんな気持ちで天国に行ったのか、とても気になって仕方がありませんでした。気になったというか、「もし、短いニャン生でも、ここに来てよかった」と感じていたなら、自分も心が救われる、と幼いながらに思っていたのです。
それが、人間はどう生きるのか?自分はどう生きるのか? という自分の中でいつも心にある課題につながって行ったのでありました。