エコロジーとメディスン
10年近く書いてきたブログは北米のエコビレッジツアーに行った時にであった『Ecological Medicine』という本がきっかけで、つくったものだ。
それまでは、アロマセラピストとして東京で仕事をしていた自分は、どうやったら人は自分らしく生きられるのか?ということに関心があった。それは、自分自身がそうしたいから、関心があったということなのだが。
いわゆる「自分探し」をしている中で出会ったのがアロマテラピーだった。アロマを学び終わってからは、なるつもりはなかったけれど、マッサージが面白くて、アロマセラピストの仕事ならできそうだと思い、そのまま、セラピストになることになった。その経緯の中でも、家族の病、そこからの自分なりの決断があったけれど、とにかく、1996年ぐらいからアロマセラピストとして仕事をするようになった。それから10年がたった時に、「自然界」のことについて、良くわかっていない自分がいることに気づく。
そこでは、たまたま、パーマカルチャーという持続可能な暮らしのデザインについていくうえで必要なモノを網羅した体系に出会い、ピンときた。これも、まあ、知的探究心というか、もやもやするところを何かすっきりさせたいから、学びはじめたのすぎない。その頃の私の疑問は、アロマで使う精油は輸入物が多く、そして、植物を大量に使いエッセンスを抽出するので、それは、人間にとってはいいかもしれないけれど、自然界にとってはどうなの?という問いだった。
しかし、自分ができることはアロマセラピストやボディワークしかなく、そのことと、この持続可能な暮らしって、どう結びついて、自分はどう生きていくのが良いのだろうか…ということを頭で考えていた。結局、パーマカルチャー塾でいろいろ体験したり学ぶことで、だいぶ頭が整理されてきた。そして、たまたま企画された、北米のエコビレッジをめぐるツアーに参加することにした。
自分の仕事柄、アロマやハーブなど植物との関連から、関心があったのは自然界、自然環境のことだけれど、パーマカルチャーを学べば、持続可能な暮らしにしていくには、自分一人だけでは難しく、周囲の人たちとの関係性で社会がつくられていくわけなので、自然環境のみならず、コミュニティや社会環境についても関心が向いた。
そんなこんなで参加した、北米エコビレッジツアーのなかで、ある時ぶらっと本屋さんに立ち寄った。そこで目に入ったのが、『Ecological Medicine』というタイトルの本だ。そこに書かれていた問題意識はこうだ。
医療現場ではプラスチック製品を使ったり、薬品の大量破棄があり環境を汚している。人間の健康だけではなく、環境負荷のない医療を考える必要があるのではないか。というあたりのことが書かれていた。
自分の携わるアロマテラピーも、できるだけエコロジカルメディスンの考え方に従い、環境負荷のないものにしていく必要があるな、ということを考えたものだった。もう、全然更新していないけど、『エコロジカルメディスン研究室』というサイトをつくって、いろいろと調べていた。
統合医療を実践するドクターである、アンドリュー・ワイル氏が、この本の序文でこう言っていた。
「人間が活動のすべてをストップしたとしても、すでにそれは遅く、悲惨な事態を招くと言う人がいる、だけれども、医療現場で人の意識の変化で、人が癒されていくことを目の当たりにしている自分は、それは信じない」
これは、2003年ぐらいに書かれた本だったと思う。それから12年がたって、地球環境はもう後戻りできない状況に来ているようにも思える。それでも、人間の持つ意識と、その進化により事態が好転することを信じられるのだろうか。
翻訳の話もでて、ワイルの本を翻訳されている上野圭一氏と、ある代替療法の会の方と共に相談をしたこともあったが、わたしの引っ越しがあったり、会の都合もいろいろあり、そのまま立ち消えとなった。
自分自身は、パーマカルチャーを学んで以降は、自分も持続可能な暮らしを実践しつつ、健康と環境のことを同時に考えていくような活動をしていこうかなと思っていたわけだが、2011年の3月に、福島で震災にあった。その後、今までの4年間は、いろいろなことを考えた。
3.11があっても、それほど変わらない人間の意識にたいする諦めや絶望感もあり、一方では、「地球環境を守るために〇〇すべきだ!」「福島はこんなひどいことになっているのだから原発は反対だ」と声高に正義を振りかざすことは、無自覚に人を傷つけることにもなるのを思い知らされた。
正しいことを言って、一生懸命やっているのに、なんでわかってもらえないのだろう・・・
と思った時には、自分のしていることで誰かを傷つけていないかを考えることが必要。
そんなこと言ったら、何も言えなくなるではないか・・・というのも、3.11以降に気づいたこと。
そしてエコロジーってのは、自分の外側だけではなく内側でもあるということ、
メディスンというのは、うちと外をつなぐメディアのようなものであることに気づいたこと。
内も外も一緒だと思えてしまえば、それを簡単に壊すことはしなくなる。
外側の悪を見出して、それをただすことをするのは解りやすくて良いかもしれないけれど、
もっと違うやり方をしたいという感覚が、震災後4年ですっかり身についてしまった。
でも、どういうやり方が一番いいのかはよくわかっていない(笑)