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BE WILD (1)


(2015.4.7 facebookより転載)

わさびがぶらっと出て行ったきり、戻ってこない。

一昨日の日曜日の夕方に出て行ったので丸3日が経った。

自分の気持ちの整理をするのに、気づいたことやら考えたことを、書いてみます。

夕方に出かけて暗くなっても戻ってこないので、この前みたいに、

向かいの小屋にでも閉じ込められてるのでは?と思って、次の日に探しに行ったけど、いなかった。

今までの失踪事件の時は、必ず、もりぞう氏が見つけてきたので、

もりぞう氏は、昨日今日と心当たりのところを散歩しながら探してくれた。

わさびは不思議ちゃんなので、過去にも「なんでこんなところに..」というところで見つかったりしていた。

外で遊ぶのが大好きなので、冬が終わってグリーンシーズンが来れば、

また朝出たら鉄砲玉のわさびになるのは覚悟していたし、

裏磐梯の大自然満喫して、わさびは満足なのだろうから、何があっても本望と思うようにしてる。

わたしはだいたい猫に関しては心配し過ぎ傾向があるので、

まあ、そのうち帰ってくるでしょ、ぐらいな気持ちでいようと思ったけど、

雪もまだ解けきっていない寒い時期なので、そうもいかず。

探しに行って「わさびー!」と呼べば、フクロウが「ほっほほっほー」と鳴いて、

エサがない時期、フクロウにでも喰われたか?とか、

どこかに落ちて寒い思いをしていないかとか、悪い事ばかりを考えてしまう。

いかんいかんと思って、あまり気にしないようにするのだが。

そうかと思えば、「私が何かやるべきことをやっていないので、

神様が罰を与えたのではないか」「私が何か学ぶことを怠っているからじゃないか」とか

今度は自分を責めることを考え、そして、〇〇しますから、わさびを助けてください、

みたいな、取引モードになったり。

生きていると思う自分と、もうあの世に行ってると思う自分の両方が立ち現れてくる。

今朝起きた時に、こう思ったのです。

わさびが今どうしているか、考えると、寒いところで心細くしているのではないか、

って考えると自分がつらいから、ちょっと想像して心配になり、

また何かを想像して心配になったり、というのを繰り返しているんじゃないかなと思った。

だから思い切って、そこに意識を向けてみた。もし、寒くてつらい思いをしていたらどんなだろう、

家に戻りたい、私たちやくるみにも会いたいって思っているのかな…と思ったら、急に涙が出てきた。

人間の近くにいる動物(つまりペットや家畜)は人間になりたいと思って、

人間修行をしている、と考えてみる。

わさびは野生動物に近い感じなので、だっこは嫌いだし、触られるのも嫌いだった。

でも、最近、軽く体をタッピングしてもらうのが気に入って、人の近くに来るようになった。

わさびを触る機会も増えていた。

あの、野生児のままのわさびだったら、外が好きなら、

もし戻ってこれなかったとしても本望だろうと思えたのに、

少しだけでも人といることの心地よさを知り、家が恋しい気持ちが芽生えていたとしたら、

帰れない切ない感じを思ったら、涙が出てきた。

悲しいというよりは、魂の痛みとでもいうような感覚だなと思った。

同時に、これが人間的な感情なんだと思った。

野生動物たちにはもちろん本能的な愛情はあると思うのだけれど、

人間的な感情というのは育っていなくて、人間の近くにいることで、

関係性に伴う感情がだんだん豊かになっていくのだろうと思う。

そして、わさびが身体的にもつらい状況にあっても、

帰りたい場所、会いたい人がいる、ということが生きのびる気力になったり、

戻ってくる力になるのだろうなと思った。

だから、きちんと「わさびのことは大事だし大好きだし、いつでも戻ってきていいのだよ」

というのをちゃんと伝えていいのだと思った。そして、心の中でそう伝えた。

同時に、現実がどうなっていくのかは、わさびの魂の計画によるものなので、

私の願望が関与するものではないし、それを信頼するという気持ちも存在している。

そして、わさびに戻ってきてほしいという気持ちと、戻ってこなかったとしてもそれは必然であるという、

その二つが自分の中で共存できるようになった。

まだ、丸3日しかたっていないし、裏磐梯の冬を乗り切り生きている野良猫も何匹かいるので、

絶望せず、期待しすぎずな日々が続きます。

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