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植物の成長=魂の成長

森には多様性と多層性がある。だからこそ、安定して一つの生態系を維持している。

人間社会も実は同じではないだろうか? いろんな価値観、いろんな性格の人々がいる。

どれが良くて、どれが悪い、ではなく、どれも必要なのではないだろうか。

異質なものでも許容する大きさを自然界は持っている。

害虫とか、気持ち悪い虫とか蛇とか、人間は言うけれど、人間の価値観で勝手に判断しているだけ。

人間には気持ち悪かったり、害虫と見えても、自然界の中では何か意味あって存在するのかもしれない。

森には高木、低木、草花、キノコなど、さまざまな植物があり、鳥、虫、哺乳類、土の中の生物など、

いろんなものがそこに生きている。森の中に自分がいるとしたら、一体、どんな植物として、

もしくは、動物や昆虫としているのだろうか?

実は人間の中には、どれにでもなれる可能性が既にセットされているのではないかと思う。

自分の中に、どの要素もあるということだ。どの植物にもなれるし、昆虫や動物にもなれる。

自然の中にいると、ふと、惹きつけられる花があったり、木があったり、しないだろうか?

それは、その草花なり木が持つ何かに、自分が惹きつけられているということだ。

自分の中にある何かか、その植物のある部分に反応しているのだ。

それを、じっくりと感じてみる。

そのエッセンスを感じてみる。

そこから感じとれるものは、何か自分に生きる力や

ヒントを与えてくれるのではないだろうか?

植物は、よく観察していると、本当にそれぞれが個性的だ。

土から芽を出して、素早く成長するものもあれば、じっくりゆっくりのものもある。

根っこもしっかりと大地をつかんでいるものあれば、するっと抜けてしまいものもある。

葉っぱの付き方だって、花の様子だって、それぞれが違う。

葉っぱから花に変容する時は、ある種の霊的な力が働くといわれる。

花が咲くというのは、人間に例えれば、自分の本質を目に見える形にしていく

という行為なのではないだろうか?

すると、自分はどの植物に似ている、という事も読み取れたりする。

地球は、神の計画を「見える化する」というのが、

ガイアのミッションなのではないかと思う。

人はそこに、魂の成長を見て、

神の計画がなんであるかを探求したくなるのである。

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